初めて会った方などから「何故カメラマンになったのですか」という質問をいただく。そんな難しい質問に答えられず「それは何故あなたがそんなに美しいの?と聞くような質問で難しい」と適当にごまかしてきましたが、この場で少し考えてみたいと思います。
たぶん20回くらい投稿しなくてはいけない、まさに「波乱万丈」の物語。 第1回
1970年(昭和45年)3月31日羽田を発った日本航空福岡行「よど号」がハイジャックされた。所謂「よど号事件」(バスジャックや~ジャックという和製英語があるが、バスだろうとなんだろうとのっとりはhijackが正しい)
乗客を乗せたままソウルへ、山村新治朗運輸政務次官が身代わりとなり乗客は解放される。(山村政務次官はその高潔な態度によって「男山村!」と」よばれ春日八郎によって「身代わり新治朗」なる歌まででたそうな、)その後平壌に渡り犯人の赤軍派をおろすも機長以下みな北朝鮮当局に拘束されたが釈放され、機は1970年4月5日午前9時過ぎ羽田に戻る。
4月5日は日曜日私にもなにか大事だと思ったのか父親のカメラを取り出しテレビに向かって。 かまえ!激写!
全5コマべた焼きで公開「記念すべきfast fowerd!」
camera:Olympus PEN D3
half-size camera(1965 ¥16,300)
F.ZUIKO32mm /F1.7
copalX shutter B.1/8~1/500
cds meter
film:SAKURA SS
1LU.よど号着陸 2RU.山村政務次官降りる 3LD.報道陣沸き立つ 4RD.機長コメント
すばらしい4コマじゃないですか。 日本赤軍・大阪万博・アポロ13号帰還・ベトナム戦争
報道カメラマンが胸をはって体をはって生きていた時代のお話でした。
「第2回 ユリ・ゲラーとUFOとリコー・フレックス」はまたいつか。
「カメラマンごっこは終わった?春休みの宿題はもう終わったと?」と母の声
お母さん元気ですか?