エクランの撮影日記:曾根崎心中2013
2013-04-08T11:06:36+09:00
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【曾根崎心中310回忌】 「リサとガスパールの曾根崎心中」 後編
http://ecran.exblog.jp/18493681/
2013-04-07T14:21:00+09:00
2013-04-07T14:49:09+09:00
2013-04-07T14:22:06+09:00
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曾根崎心中2013
前回はガスパール徳兵衛は結納金の横領がないことを、死んで身の潔白を証明するため覚悟を決め、日も暮れてのち密かにリサお初のもとを訪れたところまででした!
お初は涙にくれながら
「徳さまの御こと
幾歳馴染み 心根をあかしあかせし中なるが。
それはそれはいとしぼげに 微塵わけは悪うはし。
頼もし立てが身のひしで
だまされさんしたものなれど。
証拠もなければ理も立たず。
この上は徳さまも死なねばならぬ品なるが。
死ぬる覚悟が聞きたい」
と独り言になぞらえて床下の徳兵衛に足で問い同調する
「オオそのはず そのはず。
いつまでも生きていても同じこと。
死んで恥をすすがいでは」
【下之巻】徳兵衛・お初 道行
此の世の名残。夜も名残。
死に行く身を譬ふれば。
あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。
夢の夢こそ あはれなれ。
あれ数ふれば暁の。
七つの時が六つなりて残る一つが今生の。
鐘の響の聞納め。
寂滅為楽と響くなり。
近松門左衛門の名文「道行」の巻はそのように始まる
お初の勤める「堂島新地 天満屋」は梅田橋の近所にあったものだ
ここでおさらいも兼ねて曾根崎心中関係MAPを紹介しよう
弘化2年(1845)の地図です
中央の赤く細長いのが現在もある中之島。その一本北川の疎水的な川を元禄時代に河村端軒が改修し曾根崎川(蜆川)となり堂島新地・曽根崎新地が開かれたのだ
明治33年(1900)の大阪市街地図
明治に入って鉄道が伸び梅田駅(現在のJR大阪駅)が作られる
このころまでの「梅田」という地は現在よりも西にあった
現在のGoogle Mapと重ねてみよう
ワラジヤ 大正13年発行 大阪市パノラマ地図(復刻版)
近松物に欠かせないそんな曾根崎川(蜆川)は明治42年(1907)の「北の大火」による瓦礫で上流側が埋められ大正13年(1924)には下流部が埋め立てられる。
上のパノラマ地図では曽根崎新地側はもう埋め立てられており、いまだ「うめだばし」は残っている
「うめだばし」南西の大学病院は1990年代まであった阪大病院。現在はABC朝日放送などが入るホタルマチとなっている。
さてそんな場所にあった堂島新地「天満屋」からの二人の道行は続く
梅田橋より曾根崎川沿いに緑橋(現在の出入橋付近)に向かう
桜橋をこえ
曾根崎新地を通って
曾根崎新地の蜆川跡の石碑をみながら・・・・
ここで曾根崎川(蜆川)に架かる10基の橋を紹介しよう
神や仏に掛置きし現世の願を今こゝで。
未来へ回向し後の世もなをしも一つ蓮ぞやと。
爪繰る数珠の百八に 涙の玉の。数添ひて
尽きせぬ。あはれ尽きる道。
心も空も影暗く風しんしんたる曽根崎の森にぞ。
互いを連理の松の木に縛り覚悟を確かめ合うが、最期に及んで徳兵衛は愛するお初の命をわが手で奪うことに躊躇する。それをお初は「はやく、はやく」と励まして、遂に短刀でお初の命を奪い、終に返す刃で自らも命を絶った。
かくして現世で悲恋に満ちた最期をとげた二人の死
「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と来世でのかたい契りとして結末と成る。
終
●リサとガスパールの曾根崎心中 をすべて通して見るのはこちらから
●BGMにはこれが最高! 初音ミク+鏡音リンの百合ジナル曲4 曾根崎心中 -Full ver.-
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【曾根崎心中310回忌】 ブログ紙芝居 「リサとガスパールの曾根崎心中」
http://ecran.exblog.jp/18488026/
2013-04-06T13:48:00+09:00
2013-04-08T11:06:36+09:00
2013-04-06T13:49:22+09:00
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曾根崎心中2013
元禄16年4月7日(1703年5月22日) 早朝、曾根崎の露天神の森で情死した大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛」の心中事件から310年!
早速記念として紙芝居風にて分かりやすく説明してみたい
まとめ:曽根崎心中 310周年
「リサとガスパールのそねざきしんじゅう」
げにや安楽世界より。今この娑婆に示現して。われわがための観世音 仰ぐも高し高き屋に。のぼりて民のにぎわひを。契りおきして難波津や。三つづつ十と三つの里。札所〜の霊地霊仏めぐれば。
西国三十三所巡礼を終えたお初は、醤油屋の手代・徳兵衛と最後の観音巡礼の地「生玉の社」で偶然の再会をする。二人は巡礼以前から恋し合う仲であった。巡礼中に便りのなかったことを責めるお初に、会えない間に自分は大変な目にあったのだと徳兵衛は語る。
徳兵衛は、内本町にある醤油屋で実の叔父の下丁稚奉公をしてきたが、誠実に働くことから信頼を得て現在の役職は主代(アシスタント・マネージャー)
一生女房の機嫌取り、此徳兵衞が立ものか。嫌といふからは、死だ親父が蘇生り申すとあつても否で御座る
従妹と結婚させて店を持たせようとの話が出てきた。徳兵衛はお初がいるからと断ったが、徳兵衛が知らないうちに叔父が勝手に話を進め、徳兵衛の継母相手に結納金を入れるところまで済ませてしまう。なおも結婚を固辞する徳兵衛にとうとう叔父は怒りだし、勘当を言い渡した。その中身は商売などさせない、大阪から出て行け、付け払いで買った服の代金を7日以内に返せというものであった。徳兵衛はやっとのことで継母から結納金を取り返す
●銀二貫目とは銀2000匁となり約200両 貨幣価値は2000万円くらいか?
叔父に返済する段になって、どうしても金が要るという友人・油屋九平次から3日限りの約束でその金を貸してしまった。
と語り終えたところに 九平次が登場
「この三日切りに化したる銀、それを返せといふこと」
「気が違うたか徳平衛。一銭借つた覚えもなし。
そこつなことをいひかけ後悔するな」
「身どもに証文書かせ、おぬしが押した判がある。さう言うな九平次」
「なるほど判はおれが判。エエ徳平衛 この九平次はあとの(先月の)25日。鼻紙袋を
落として、印判ともに失せた。」
徳兵衛は、九平次に返済を迫る。が、九平次は証文まであるものを「借金などは知らぬ」と逆に徳兵衛を公衆の面前で詐欺師呼ばわりしたうえ散々に殴りつけ、面目を失わせる。
兄弟と呼べるほどに信じていた男の手酷い裏切りであったが、結納金の横領がないことを、死んで身の潔白を証明する以外の手段を徳兵衛は最早思いつかなかった。そこで、徳兵衛は覚悟を決め、日も暮れてのち密かにお初のもとを訪れる。
お初は、他の人に見つかっては大変と徳兵衛を縁の下に隠す。
そこへ九平次が客としてお初のもとを訪れるが、お初に素気無くされ徳兵衛の悪口をいいつつ帰る。徳兵衛は縁の下で九平次がお初にしたり顔で語る騙し取った金の話に怒りに身を震わせつつ、縁の下から出てきた時にお初に死ぬ覚悟を伝える。
あはれ徳兵衛とお初!
続きはいかなるか?!
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●前編・後編合わせて読みたい方はこちらから
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